夢見る頃を過ぎても

きみがため 春の野に出で

あまり古い記憶はないのです。
3、4才のころは(弟の記憶が無いので2才未満かな?)いつも、すぐ上の兄と2人で母
にくっ付いていました。
長兄とは13才はなれていいて、次兄とは5才、次の兄とは4才離れていたので、記憶に
残る3人の兄は別の遊びをしていたのでしょう。
そうなんです。私には4人の兄と、ひとりの弟がいます。
幼年期の弟の印象は薄く、どこかに預けられていたのかも知れません。
実家は沿岸から近海の漁を生業とする家でしたが、私の入園前までは田畑の作業もしてい
ました。
田植えのころは、かごに寝かされていた気もするのです。

ヤマハガチ
おもしろい事に、そんな年齢なのに記憶では、農業用水のコンクリート?の橋にヤマハ
チがいたと耳で覚えています。本当はヤマカガチなのにヤマハガチと信じ込んでいました
。後々(方言でムカデをハガチということを知ってから)、後付けでヤマカガチはムカデ
のように足が沢山ある蛇という図が出来上がっていたのです。本物を見たのは、長じてか
らなので記憶というものの曖昧さを嫌いになれません。
水田は入園の頃には、農家の人に任せていたようです。
田畑の多くは、生家から少し離れた場所にありました。
つづら折れの山道を30分ほど登ると、突然道が開けます。途中には、年代モノの石作り
の腰掛けがあり、さらに登ると次のカーブには大きなグミの木があります。幼い記憶なの
で随分長い坂道でしたが、冷静に考えると、それ程の数のカーブではありません。
外房線の下をくぐると、右手に用水路があります。沢になっていて、ちょっと暗く恐い気
がするのはカーブに杉木立あったからだと思いますが、不思議な事に、用水に水が流れて
いた記憶が無いのです。あきらかに水路の痕跡はあるのですが、、、
100メートルも登ると、鉄路にぶつかり左に曲がります。(ヘアピンのように)そして50
メートルほど進んだ場所に石造りのベンチ、更に登ると杉木立の闇が再登場。そうです、
先程の一つめのカーブの杉です。間も無く道は開けて3つめのカーブ。右手に母方の祖母
枇杷山、柿の樹群や農家の庭先のような野菜畑の風景が、狭いけれど日当たりの良い斜
面に無駄なく広がっていました。その次のカーブまではほぼ直線で、前段でふれた4つめ
の曲がり角(ここは、まさしく角で凡そ90度に右折します)です。小さな木立を抜けると
、大きな石畳(岩盤?)が2、3段あり急に左折すると、すぐに5つめのカーブが見えま
す。そこだけは、360度の視界が開けていて秋草が揺れていました。
最後のカーブはゆるやかに、沢を巡って登ります。
千葉県は標高の低い土地で、沢と言っても高低差がありませんので、おむすびコロリンの
世界です。
県内最高峰でも東京タワーの高さほどで、少し登れば太平洋の水平線がなだらかな丘のよ
うに見渡せます。
急坂を少し行けば、ささやかで心細げな水場。椎の木の闇を抜けると、唐突に田園風景が
現れるのです。
生家は太平洋に面した狭い土地にあり、小さな集落でしたから、隣家の軒先が台所から覗
けるほどの近さでした。
だからだと思うのですが、私は結構この田園風景が好きでした。秋には、ススキが揺れて
ワレモコウ、野菊の咲く美しい風景です。ちょうど琳派の屏風を渋くしたような道を、父
の植えたサツマイモ堀りにお弁当を持って、家族揃って出かけた思い出は何度かあります

むらさきスミレ
日当たりの良い場所で、母とジャガイモを植えた記憶があります。ホトケノザやオオイヌ
フグリが可憐にささやく早春に、母と2人でジャガイモを植える。これも後付ですが、
種芋?は切り口に灰をまぶしたような気がします。
でも収穫の記憶はありません。その狭い畑には、見事な紫のスミレが咲いていました。た
ち壷スミレとは全く異なる濃紫のスミレで、思わず、摘みたくなるほど見事な色と容のス
ミレで、たぶん一度くらいは根っこから摘んで庭に植えて枯れさせたとは思っています。

近くの山に(そこは、すでに畑がススキの原になってた)父を追い駆けて杉の苗木を植え
たのに、他に誰が一緒にいたのかは覚えていませんし、杉の前は何の畑だったのだろうと
今でも考える事があります。百舌の声やカマキリのタマゴ?を教えてもらったのも、その
斜面で椿が沢山あった事を覚えています。
故郷は温暖な気候で、植物が育つには程よい環境でした。だから私は、椿の森や桜の広場
といった低木の下に、折々の野草を楽しんでいました。
兄は今でも山百合やナデシコなどを摘んで、宅配便で届けてくれます。

やはり春
南房総の海岸は、黒潮が接近しています。
ちょうど里の辺りから、海流は離れて行くのですが、気温は一年を通じて0度にはならず
、でも海風があるので、体感温度は相当に下がっていました。そんな中でも植物は逞しく
、陽だまりの萱の蔭では冬でもブーゲンビリアが咲く気候でした。
雑木に守られた林は、通年、草花が絶えません。
社会に出てから雪国生まれの方の苦労話を聞くたびに、「雪の重さ」に思いをはせるよう
になりました。特に今のヘルパーさんの故郷が日本屈指の豪雪地で、冬は二階の窓が玄関
になるとか、雪下ろしにお金がかかるとか聞くと、年に数回の降雪に家族揃って外に出て
はしゃぐ私は、ちょっとズルイ気がします。
南房総の岸辺に降る雪の美しさは、山を見れば幽玄、海を見れば夢幻の世界で私には憧憬
そのものでした。
真木の木立に降る雪は、細い絹糸が天からスッと舞い降りるイメージ、波間に降る雪に目
をやれば、水面のはるか手前で消えゆくのです。
そも雪とは美しく、儚いものと決めていました。
雪下ろしで滑落などは、有りえない事のひとつだったのです。