むかし書いた物

むかし書いた物

 実のところ私は、障害者とは別モノのように思えます。テレビなどで目にする障害者の
方々は、皆さん、まぶしいほどに健康的で、時々「ずるーい!」などと我ながら不謹慎な
感想。
障害者の定義は、なんとも難しい。
 いわゆる中途障害者の私は、32才まで健康一直線。よもや こんな人(現在の私のよ
うな人達)がいるなんて夢にも思わなかった。もし知っていたら、きっとお手伝いできた
はずなのに。そんなふうに思っている人は、沢山いると思います。
だから知って欲しいのです。ALS(筋萎縮性側索硬化症)と言う病気と、それに流され
る患者と家族のこと。誰かが手を差し伸べてあげたら、まだまだ生きられる人々のこと。

 現在の私は外出に3人の介護者が必要ですし、24時間一人では生きられません。一番
の欠点は、障害が固定しないこと。限りなく失くしていく機能に対応していくことは、案
外忙しくゆとりがもてないのかも知れません。忘れてならぬことは、常に「死」を意識し
て生きていることです。
「告知」について語られるとき、余命を有意義に過ごしたいからとか、為すべきことがあ
るからと人は言います。 ほんの一握りの履病者だけが、「死」に向かって「生」を計画
的に重ねることは、フェアなやり方とは思えないのに。 大方の人は、「死」を現実のも
のとは実感せずに過ごしているように見えます。「死」に至る病の告知は、ひどく傲慢な
ことの様に思うのは私だけなのだろうか。
 正確な死期なんて予測できるはずもなく、一年、二年、五年十年とずれ込んでいく時間
。確かに、一年が五年、十年ともなれば、生きているだけで得をしたような気持ちにはな
るけれど、それだけのことです。

 私は、いつも「天命」を信じてきました。
全てのものには定められた場所があり、その一つ一つが現世にとっては、無くてはならな
いパーツなのです。ここで私が、病を得ていることも 星の位置も、学生時代の遅刻さえ
、天の決めごとと信じていました。それでも「死」を実感することは恐ろしくて不安なも
のです。死の瞬間は、誰にも平等に突然訪れるべきで、少しの人達だけが身構えていて良
いものではありません。
 そうは言っても、うろたえる私達の存在もそれがこそ天命なのでしょうが。
ALSの告知は末期癌の告知と同じようなものだから、告知しないと言うあなた、それは
間違いかも知れません。確かにどの医学書を見ても「予後は悪く10年以内に死亡」と書
いてあります。一度は死ぬものと分かっていても「死ぬぞ」と言われると、宇宙の不安を
一身に集めたような焦燥感に捕われるのは、私だけではないでしょう。それでも尚ALS
には、正確な告知が必要なのです。

末期ガンは、あっと言う間に死ねます。
運が良ければ、愛する人の手を握り「ありがとう」なんて、言えるかも知れない。でもA
LSにはできません。「ありがとう」はおろか、手を握ることさえもできません。近年、
突然声を失くしてパニックってる患者さんの事例を多く耳にします。中には告知もされて
いない例もあり、介護者も途方に暮れるのです。
ALSには、上手に生きる方法を告知してください。発病したことが、十分に不幸なので
す。それ以上の絶望を与えないで欲しいものです。