超尊厳死

常々、尊厳死という文言に疑念を持って暮らしています。
尊く厳かに生きていない身に尊厳を持って死ぬことなんぞ、できようはずもなく、したくもない。
国語が時代によって使い分けされ、のちの世の人々がそれぞれに理由付けをしてきた。
その人らしく死ぬことが尊厳死らしい。
では、徳を積んで自分に厳しく生きた人と私ごときの死が「らしく」`で括られてしまうのか。それとも超尊厳と並尊厳、なんちゃって尊厳に○をつけるのか。
高齢者だから餓死することが尊厳だと言い張るなら、井形さんが取りあえず断食して、後期高齢者の星になれば良いですね。