尊厳死という言葉を

尊厳死という言葉を駆逐しよう。
少なくとも法律にするということを止めよう。
昔、尊厳という言葉は尊く気高い様を指した。
今は尊厳を"その人らしく"というらしい。
その人らしい死に方を尊厳死というらしいけれど、
昔の教育を受けたわたしは、断固拒否したい。
そんな法律はあり得ない。
全国に1億3000万の法律をご用意しなくてはいけなくなる。
比叡山阿闍梨ならいざ知らず、
わたしは至って平凡なめちゃくちゃ俗物であるというのに、
忍耐を重ねて、自ら磨いた人たちの死が
わたしなんぞと同じでは申し訳ないにも程がある。
やはり尊厳という文言は生きるときに使う言葉だと思う。
マザーテレサやスーチーさんの後光が
差すような生きた方に相応しい。
5歳以下の臓器や眼球を取る人に
尊厳ある生きた方はできないね。