尊厳死という言葉を
尊厳死という言葉を駆逐しよう。
少なくとも法律にするということを止めよう。
昔、尊厳という言葉は尊く気高い様を指した。
今は尊厳を"その人らしく"というらしい。
その人らしい死に方を尊厳死というらしいけれど、
昔の教育を受けたわたしは、断固拒否したい。
そんな法律はあり得ない。
全国に1億3000万の法律をご用意しなくてはいけなくなる。
比叡山の阿闍梨ならいざ知らず、
わたしは至って平凡なめちゃくちゃ俗物であるというのに、
忍耐を重ねて、自ら磨いた人たちの死が
わたしなんぞと同じでは申し訳ないにも程がある。
やはり尊厳という文言は生きるときに使う言葉だと思う。
マザーテレサやスーチーさんの後光が
差すような生きた方に相応しい。
5歳以下の臓器や眼球を取る人に
尊厳ある生きた方はできないね。
まさかの超尊厳死
確かに私はタカをくくっていました。
自署できない者の事前指示書なんて
認知されるはずがないと信じていたのです。
ところが今般の6歳児の脳死判定です。
これなのかっ!!と思いました。
4月から生命にかかわる二つの診療報酬が
改定されています。
NICUから退院調整を受けた小児を有床診が
受け入れたら20000円
30日以内に看取ったら10000円加算
というものです。
連日、議員会館と厚労省に通いましたが、
30日以内は消すことができませんでした。
フィラデルフィアのリハセンターには、
世界中から第二の脳を作り出すために
子どもたちが通っています。
ドナーの親を責める権利も意思もありません。
特に母親の決断には尊厳を感じます。
わが子の体温を好んで失くしたい母親はいません。
臓器移植の現状を考えての
我を封じ込めての決断です。
日本の医学には正しい方向を目指して欲しいと思います。
確かに、人が30年で死のうが50年で死のうが
歴史的には全く違いはありません。
でも、思い悩みながら死んでいく者たちが
歴史をつくっていると考えます。
あまりのショックに愚痴を書きました。