一人の患者の居場所

 ALS患者が「意思疎通不能になったら人工呼吸器を外して欲しい」と全国ネットで訴えた日、カワグチと私は厚労省にいました。目的は長期療養者のベット確保です。
 私が人工呼吸器をつけた時代は、呼吸器そのものが自己調達で誰でもつけられる時代ではありませんでした。愛情の溢れる大家族の家長か資産家であることが最低限の条件だったような気がしています。
 私が生き延びているのは、子が小学生で子育てを一人で担っていたのが理由です。先駆的な介護人派遣をしていた難病のグループもありましたし、人工呼吸器の在宅移行は区内で初めてでしたから、行政もそれぞれの仕事を誠実にこなしてくれました。
 今、多くの制度がALSの周囲に溢れています。それは私たちの活動の成果だとは思ってはいますが、制度を使いこなせていない面もあります。ロックトインと軽々しく外部の人は言ってくれるけど、それは明確な差別用語です。私は会話より独り言が好きな人なので、コミュニケーションがとれなくなったら呼吸器を外して欲しいなんていう発想はありません。ていうか、つける前に考えます。それが尊厳と人権を尊重して生きるということではないでしょうか。
 安楽死を選ぶということは、呼吸器をつける前の権利です。家族のいない患者は毎月10万〜20万の負担ができなければ、住まいもありません。
 「ALSに長期療養者施設をください」って言って欲しかったな〜〜。