ALS患者の死生観

ALS患者の死生観
ALS(筋萎縮性側索硬化症)当事者の括りは複雑です。そこに遠近感まで考慮すると、
当事者の裾野が広がり過ぎるので、橋本みさお的な患者系目線で書いてみようと思います
。なぜ患者ではなく患者系かと言えば、ALS患者の持つウジウジ思考が良くわからない
のです。もしかして自分こそが世の中で1番不幸だと思い込んでる気の発想は、同じ患者
からみても痛いのだから一般社会ではドン引きだろうなと思う。およそ人には病の1つや
2つはあるもので、それらを受け入れ理解して共生している。では何故ALS患者家族は
、疾患と共生できないのだろうかと思う。わが身に振り返ると、ほとんどの患者に無いも
のが私の周囲には揃っていた。
生家は漁業を生業としている。
漁師は、古くから「板子一枚、下は地獄」ともいわれ、死とともに生きている民族と言え
る。これは戦国の世に限った事ではなく、平成の今も浦中で年に1人は死者が出ている事
から、逃れられない宿命ともいえる。少なくとも私は、死を日常的な出来事として捉える
事ができた。昨年の今頃は、故郷の漁協に所属する漁船がイージス艦に当て逃げされ消え
た。それ系の事故は、日常茶飯事だと兄は教えてくれた。この時期、外房の漁船は黒潮
超えて八丈島辺りまで、初鰹を追いかけていく。黒潮が海流であることは誰でも知ってい
る事だが、太平洋に激流のように流れている事は小船の主にしか実感できない。ちなみに
イージス艦は1500億円、兄の舟は3000万円で正に桁違い。そして海上自衛隊は海
の約束を守らないと漁師は言う。海猿海上保安庁で、海の安全を守ることが任務である
が、防衛省の海自には任務が無い。いわゆる殴られっぱなしなので、危険だと思う。海上
自衛隊が、なぜ練習の為にのみ高価な艦船を保有し、あまつさえ仕事中の漁師を殺して恥
じない事は謎だ。彼らは迎撃が法で禁じられているが、無駄な航行を続けて昨年の事故で
は2人殺している。洋上に万能の楯など有りえないのだ。海を甘く見ては困る。と私が言
うかな?とも思うけれど。
 私はバリバリの海洋民族、漂流民族だと思っている。椰子の実のようなものだ。名も知
らぬ遠き島より、流れ着いたに決まっている。祖先を辿れば、阿波や紀伊の落武者だろう

私を護っているのは私自身である事は言うまでも無い。とか言いながら、どうせなら長宗
我部元親の立ち位置も捨て難い。彼が生き延びて舟で流れ着いて、鯛でも釣ってたら面白
くもある。
それはそれとして、ALS以前も以後も私は私でしかなかったし、そんなに大変なのかな
?ALSって?とは思う。みさおさんちのポンちゃんの方が、よほど辛いと思うけれどた
えている。食べたいだけ食べる事もできず耐えている。それを見ている私は相当に切ない

位相に着目すると摩訶不思議な私がいる。本当にALSが大変なのかすら理解していない