橋本操の死生観

はじめに書いておこう。私は無宗教で55年生きている。苦楽や禍福には、見事なほど鈍
感に暮らしてきたし今も暮らしている。讃美歌や仏像や禅の庭を芸術として好むが、背景
には思いが至らない浅い人である。広隆寺彌勒菩薩半伽思惟像、常照皇寺御車返しの桜、
瑞泉寺の庭、曼殊院門跡の枯山水など、機会があれば訪れて人の世の儚さ、歴史のパーツ
としての命の置かれた位置を再確認しています。長い歴史を持つ木々の前に立つ時、人の
命の儚いことや今を一所懸命生きる事の大切さを実感しています。樹齢1000年の枝垂
れ桜は、今も春には平安の世と同じ花を咲かせている。牛車を戻してまで大宮人が讃えた
桜を、平成の時代に車椅子に呼吸器を積んだ私が眺めるロマン。何代もの人が桜の下に集
い行き交い、悲喜こもごもに泣き笑い時に病に倒れ果てていったのだろうとおもうと、や
はり面白きかな吾が命である。この瞬間を取りあえず生きてみよう。それだけの事です。

たぶん桜の下にはALS患者も住んでいたと思うのだけれども、この病が発見されて13
0年あまり未だ原因不明である。患者には何と言葉をかけたら良いものかと思うが、この
瞬間はアナタのものなので必死に生きて欲しいとだけ言おう。